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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)1251号 判決 1960年3月31日

控訴人 秦治視 外二名

被控訴人 秦操 外三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消す。申立人秦喜代輔、同泰治視、参加人秦古一(以上本件控訴人)、相手方村沢与三郎、同遠山実(以上本件被控訴人)間の飯田簡易裁判所昭和二七年(ノ)第一二四号土地境界確認請求調停事件の昭和二十八年二月五日附調停調書の無効なることを確認する。被控訴人遠山実、同村沢与三郎は各自控訴人秦喜代輔に対し金十二万七千五百円、及び内金七万七千五百円に対しては昭和二十八年三月一日以降、内金五万円に対しては昭和二十八年五月一日以降何れも完済まで年五分の割合に依る金員を支払うべし、被控訴人秦操、同遠山正芳、同村沢与三郎に連名を以て、別紙目録記載の謝罪状を信濃毎日新聞、南信州新聞、南信タイムズ新聞の各紙上に引き続き三日間三号活字をもつて掲載すべし。被控訴人秦操、同遠山正芳、同村沢与三郎は連帯して、控訴人らに対してそれぞれ金十万円づつを支払うべし。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において、「原判決事実摘示中、第五、名誉回復及び損害賠償請求の事実主張、(A)請求の原因(二)(原判決五枚目裏十二行以下)に、「同年十一月七日、同月二十七日、同年十二月五日に開かれた右調停の席において」とあるのを、「同年十一月七日、同月十四日、同月十八日、同月二十七日、十二月五日及び外一回開かれた右調停の期日において」と訂正する。」と述べた外、原判決事実摘示(原判決添附目録及び附図をふくむ)記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

証拠として、控訴代理人は、甲第一号証の一ないし十二、第二号証の一ないし九、第三、第四号証、(甲第五号証は欠番)、第六号証の一ないし三、第七号証の一ないし八、第八ないし第十号証、第十一号証の一、二、第十二号証の一ないし八、第十三号証の一、二、第十四、第十五号証、第十六号証の一ないし三、第十七号証、第十八号証の一ないし十、第十九号証、第二十号証の一、二、第二十一号証、第二十二、第二十三号証の各一、二、第二十四号証、第二十五号証の一、二、第二十六号証、第二十七号証の一ないし五、第二十八号ないし第三十一号証、第三十二号証の一、二、第三十三ないし第三十六号証、第三十七号証の一ないし三、第三十八ないし第四十四号証、第四十五号証の一、二を提出し、原審並びに当審証人秦勝、当審証人田辺広三(第一、二回)、宮沢兼太郎、宮沢長次、大平茂、新井琴尾、牧野寿美、吉川敏寛(第一回)、川手浪治の各証言、原審並びに当審における原告(控訴人)秦治視、秦喜代輔、原審における原告(控訴人)秦古一各本人尋問の結果、原審における被告(被控訴人)遠山正芳尋問の結果の一部、原審並びに当審(第一、二回)における検証の結果を援用し、乙第七、第八号証、第十六号証、第十八号証の三ないし五、第十九ないし第二十二号証、第二十三号証の一、二、第二十六号証の三の成立は不知、その余の乙各号証の成立は認める、乙第二号証、第三号証の二、第五号証の二、第十四号証の二、四、七のロ、八のロ、十六、十七、第十五号証の一、二、第十八号証の六、七、十、十一、十五、第二十六号証の一、二を援用すると述べ、被控訴代理人は、乙第一、第二号証、第三号証の一ないし三、第四号証の一ないし四、第五号証の一ないし八、第六号証の一ないし三、第七ないし第十一号証、第十二、条十三号証の各一、二、第十四号証の一ないし六、七のイロ、八のイロ、九ないし十七、第十五号証の一、二、第十六号証、第十七号証の一ないし十七、第十八号証の一ないし二十四、第十九ないし第二十二号証、第二十三号証の一、二、第二十四、第二十五号証、第二十六号証の一ないし三、第二十七号証、第二十八号証の一ないし三、第二十九号証の一ないし五を提出し、原審証人花田源吾、中田敬助、野明助治、当審証人秦千松、遠山高次郎、宮沢兼太郎、大平茂、飯島豊喜、田中貞爾、鈴木久彦、吉川敏寛(第二回)の各証言、原審並びに当審の被告(被控訴人)秦操、村沢与三郎、原審並に当審(第一、二回)の被告(被控訴人)遠山正芳の各本人尋問の結果、原審並びに当審(第一、二回)の案証の結果、当審における鑑定人吉川敏寛、奥原太平共同鑑定の結果(鑑定人吉川敏寛の鑑定書の説明をふくむ。)を援用し、甲第二号証の三、五、六、九、第十七号証、第十九号証、第二十三号証の一、二、第三十二号証の一、二、第三十三ないし第三十五号証、第三十七号証の一ないし三、第三十八号証、第四十四号証の成立は不知、甲第三十九号証の成立を否認する、その余の甲各号証の成立を認めると述べた。

理由

第一、控訴人らの請求のうち、まず控訴人ら主張の調停調書の無効であることの確認を求める請求につき判断する。

控訴人ら主張の飯田簡易裁判所昭和二七年(ノ)第一二四号土地境界確認請求調停事件につき同裁判所において昭和二十八年二月五日調停主任裁判官野明助治、調停委員秦操(被控訴人)、調停委員中田敬助、裁判所書記官水野謹司列席の上開かれた調停委員会において、申立人秦治視、同秦喜代輔(以上本件控訴人)、相手方村沢与三郎、同遠山実(以上本件被控訴人)、参加人秦古一(本件控訴人)間に、調停条項を、

「一、下伊那郡平岡村大字平岡字中己知四十七番ノ一の申立人等所有の山林と相手方村沢与三郎所有の同村大字平岡字白砂三十九番の山林竝に相手方遠山実所有の同村大字平岡字うのす四十八番ノ一山林の境界は相手方両名主張の「なめた沢」の線なることを認める。

二、申立人秦治視、参加人秦古一は前項の相手方両名の所有なる前記山林立木を伐採した事について陳謝の意を表し、その損害賠償として金二十五万五千円を相手方両名に賠償すること。

三、申立人秦治視竝に参加人秦古一及申立人秦喜代輔は連帯して前項の金二十五万五千円を左の通り分割して支払うこと。

(イ)  昭和二十八年二月二十八日金十五万五千円也

(ロ)  同年四月三十日金十万円也

四、相手方両名は申立人両名参加人秦古一が前項の支払を了した時は長野地方裁判所飯田支部昭和二十七年(ヨ)第四十一号有体動産仮差押決定に基く仮差押の解除をなすこと。

五、当事者双方は互に

長野地方裁判所飯田支部昭和二十七年(ヨ)第三十三号事件竝に前同第四十一号事件の各担保取消に同意しそれぞれ保証金の還付を受けること。

尚前同庁に係属する昭和二十七年(ワ)第七十一号竝に同第七十二号事件は本日これを取下げること。

六、相手方両名は本件に関し阿南地区警察署に対してなしある申立人両名及参加人秦古一に対する森林盗伐の告訴はこれを取下げること。

七、調停費用は各自弁のこと。

とする合意が成立した旨の調停調書が作成されたことは当事者間に争のないところである。

控訴人らは、右調停調書の記載は無効であると主張し、無効の事由を挙げているので、以下順にこれを判断する。

(一)、控訴人らは、右調停調書には、調停の相手方たる被控訴人実が出頭した旨記載されてあつて、被控訴人正芳が出頭したことが記載されてないが、被控訴人実は右調停期日に出頭していないから、右記載は虚偽であり、従つて右調停調書は無効であると主張する。

よつて考えるに、右調停調書に被控訴人実が出頭した旨記載されているが、事実は被控訴人実は右調停期日に出頭していなかつたこと、同調書に被控訴人正芳が出頭していた旨が記載されてないけれども、被控訴人正芳が右調停期日に出頭していたことは当事者間に争のないところである。

しかして、成立に争のない甲第十二号証の三、四、六、八、原審証人野明助治の証言、原審における被告(被控訴人)遠山正芳の供述を綜合すれば、右調停が成立した昭和二十八年二月五日には、被控訴人実の代理人として被控訴人正芳及び弁護士太田真佐夫の両名が出頭し、控訴人らとの間に前示調停条項の合意が成立したことを認めることができる。従つて、右調停調書に、相手方遠山実が出頭した旨記載してあるのは、誤謬であるが、太田真佐夫弁護士が出頭していたとは右調停調書に記載されているところであり、従つて調停調書の前示の誤謬が、調停調書ないしは調停を無効ならしめる理由はなく、控訴人らの右主張は排斥を免れない。

(二)、控訴人らは、本件調停調書には、前段認定の調停条項により合意が成立した旨記載されているが、控訴人らが右調停条項を受諾する旨の意思表示をなしたのは、被控訴人操、被控訴人正芳、被控訴人与三郎が控訴人ら主張のような言辞をもつて控訴人らに強迫を加えたことによるものであつて、控訴人らは、被控訴人実に対しては昭和三十年一月二十一日に、被控訴人与三郎に対しては同月二十三日に右調停条項受諾の意思表示を取り消す旨の意思表示をなしたと主張する。

控訴人らが、被控訴人実、同与三郎に控訴人ら主張の取消の意思表示をなしたことは当事者間に争のないところであるけれども、右調停期日ないしはそれ以前において、控訴人らに対し控訴人ら主張の強迫が加えられたとの点については、この点についての原審証人秦勝の証言、原審並びに当審における原告(控訴人)秦治視、同秦喜代輔及び原審における原告(控訴人)秦古一の各供述はいずれも信用できない。その他控訴人ら主張の強迫の事実を認めるに足る証拠はなく、却つて原審証人野明助治の証言によつて認められる飯田簡易裁判所昭和二七年(ノ)第八七号調停事件、同裁判所昭和二七年(ノ)第一二四号調停事件の全経過に照らし控訴人ら主張の如き強迫の加えられたことがなかつたことを認めるに十分である。よつて控訴人らの右取消の意思表示はその効力がないものというべく、右取消により調停の効力が失われたことを前提とする控訴人らの主張は排斥を免れない。

(三)、控訴人らは、前段認定の調停条項による合意は、控訴人治視の所有地である原判決添附目録記載の甲地と、被控訴人実所有の右目録記載の乙地、被控訴人与三郎所有の右目録記載の丙地との境界線についての控訴人らの主張を全部斥け、被控訴人実、同与三郎の主張を全部認容したもので、かかる合意は、当事者双方の互譲に基く合意、すなわち和解ではなく、従つて右合意の成立は民事調停手続における合意の成立には該当しないから、右調停条項により合意は無効であると主張している。

しかしながら、民事調停法第十六条にいう合意とは、私法上の権利義務又は法律関係で、当事者が処分権を有するものにつき、その間の争を消滅せしめることを目的とする合意であれば足り、苟も当事者間に争を消滅させる合意の存する以上、双方に互譲ありと認め得るのであつて、必ずしも調停の目的たる権利関係について直接の譲歩あることを必要とするものでない。しかも前段認定の調停条項によれば被控訴人は控訴人らに対する森林窃盗の告訴を取下げ、有体動産差押の解除をなし、調停費用も自己に関する部分を負担することを承認して、自己の権利主張について譲歩したことを認め得るのであるから、前段認定の調停条項による合意をもつて、民事調停手続における合意にあたらないとする控訴人らの主張は理由がない。

(四)、次に控訴人らは、前段認定の調停条項による合意は、被控訴人実、同与三郎が控訴人らに対する告訴を取下げることを条件となされたものであり、換言すれば控訴人らが右調停条項に応じないときは、告訴を取下げず、控訴人らを懲役に処するとの威嚇の下に右合意はなされたものであるから、右合意は公序良俗に反するものであると主張する。前段認定の調停条項の六において被控訴人実、同与三郎が控訴人らに対する告訴を取下げることを約していることは控訴人ら主張のとおりである。

しかしながら、成立に争のない甲第十一号証の一、二によれば、昭和二十七年十二月二十二日被控訴人正芳は控訴人らを告発し、被控訴人与三郎は控訴人らを告訴していたこと、右告発、告訴が控訴人らと右被控訴人らとの前段認定の調停条項、一に掲記せられた山林の境界に関する紛争に起因することが認められる。このような境界紛争についての私法上の争を調停で解決するにあたつて、この紛争に起因する告訴、告発を取下げることを約することは、望ましいことでこそあれ、そのことが公序良俗に反するものでないことはいうまでもない。そして被控訴人において控訴人らが調停に応じなければ告訴、告発を取下げないといつて、控訴人らを強迫しよつて控訴人らを右調停条項に同意せしめたとのことについては、前示認定の如く本件調停成立について強迫の事実の認め難い以上、これを認めるに足る証拠はない。要するに、この点についての控訴人らの主張はすべて理由がない。

(五)、次に控訴人らは、前段認定の調停条項、一をもつて、地籍を変更せんとするものであり、右条項にいう「相手方両名主張のなめた沢の線」とは、如何なる線を指称するものであるか不明であり、同項は不明なことを内容とする無意味な規定であり、かつ同項は、境界についての明白な事実に反し、明らかな誤謬を犯したものであり、同項は、法律上当然に無効であると主張する。(原判決事実摘示、申立関係第四(A)、第六(A)、4)

そこでまず、本件係争地の現状を図示するため、当審第一回検証調書附図の要部を「第二図」として本判決末尾に添附し、右第二図に附した(1) ないし(17)点につき、原審並びに当審(第一回)の検証の結果を綜合して次のとおりその位置を特定する。

9点は、国有鉄道飯田線百七号トンネル(追流第一隧道)の北口から北方約四十米の地点にある追流第一橋梁上の東側にある待避所の直下の点である。

10点は、右待避所の中心(9点の直上にあたる。)から東方に向つて見通した尾根の頂上を11点としたとき、11点と待避所の中心とを結んだ線にある尾根の下にあたる点である。

12点は、10点から東方に向つて11点に至る尾根とは別に、谷を隔てて、3点からほぼ南東に走る尾根上の点であつて、しかも、11点のほぼ東にあり、三十年生位の松が生立している地点である。

13点は、12点の尾根からほぼ東方に向う尾根の頂点である。

14点は、ナメツタ沢に注ぐ堀と呼ばれる谷の上部にある高さ、巾とも約一間の滝の頭である。

15点は、14点より東方に向う尾根と後記6点より東南方に向う尾根との交点である。

16点は15点より東方に向う尾根と白砂大尾根との交点である。

17点は13点からはほぼ南東に走る尾根と白砂大尾根とが合致するところで附近は五、六坪位の平地になつている。

2点は、国鉄所有地とナメツタ沢との交点である。

3点は、ナメツタ沢の高さ十二、三間のナメツタ滝又は大滝頭と呼ばれる滝の頂上である。

4点は、ナメツタ沢に沿い、3点の上流にあたる小滝頭と呼ばれる点である。

5点は、ナメツタ沢に沿い、4点の東方にある堀と呼ばれる谷とナメツタ沢との分岐点である。

6点はナメツタ沢に沿い、5点より東方にある滝の頭の三十年生位の杉の木のある点である。

1点は、3点と2点とを結んだ線を西南方に延長した線と国有鉄道線路との交点である。

控訴人らは、右第二図の16、15、14、13、12、11、10、9の各点を順次に連結した線が、成立に争のない乙第二号証(平岡村五番図)の四十七番の一と三十九番、四十八番の一、十六、十七との境界線(原判決附図第一の二-ヘの線、以下二-ヘの線という)にあたると主張しているので、当裁判所は、当審において二回にわたる検証を行い、慎重に審理したが、右控訴人らの主張は間違いであつて、到底これを容認することはできないとの結論に到達した。その理由は次のとおりである。

(1)  前掲乙第二号証(右は成立に争のない甲第二十四号証、すなわち長野地方法務局遠山出張所備付の公図と対照するに、全く同一内容で、右乙第二号証は、明治二十四年三月製図されたところの、本件係争地域をふくむ平岡村の公図であることが明らかである。よつて乙第二号証中本件係争地域関係部分を写したものを本判決末尾に添付し、これを「第一図」と名づける。)、原審並びに当審(第一、二回)検証の結果及び当審鑑定人吉川敏寛、奥原太平が共同でなした鑑定の結果を綜合すれば、本判決添付第二図の10、11、12、3、2、10の諸点を順次連結した土地(右図面にAと表示されている地域)は、前掲乙第二号証(公図)に、「四十八ノ一」(右は「四十八番ノ一」であることが明らかである。)と表示されている土地にふくまれているものと認められる。

(2)  控訴人らは、前掲乙第二号証(公図)を根拠として、右公図の「四十七ノ一」すなわち、四十七番ノ一の南方の境界線が、現地の検証図である本判決添附第二図の15、14、13、12、11、10、9を結んだ線であり、尾根の線であると主張しているけれども、原審並びに当番(第一、二回)検証の結果によれば、11点と12点との間には尾根がなく、単なる山の斜面であり、11点の北東側は北向斜面となつていて、12点の南向斜面とが底辺において相合し窪となつており、11点の松の木から、12点の松の木を窪地越しに見通すこととなり、境界とするには不自然な線であると認められ、次に、13点と14点との間は、13点から14点に向つて約十五度の下り傾斜面で、急傾斜をなし、13点と14点との見通し線は地形上顕著な事物に沿つていないことが認められる。

これに反し、被控訴人実が四十八番ノ一と分筆前の四十七番ノ一との境界であると主張する本判決添附第二図の3、2を連結した線は、原審並びに当審(第一、二回)検証の結果によれば、俗にナメツタ沢と称せられる谷川であることが認められ、被控訴人与三郎が、三十九番と分筆前の四十七番ノ一との境界であると主張している本判決添際第二図の3、4、5、14を連結した線は、原審並びに当審(第一、二回)検証の結果によれば、うち3、4、5を連結した線は右ナメツタ沢であり、うち5、14を連絡した線は俗に堀と称せられる谷川で、いずれも、天然の境界をなしていることが認められる。

以上を綜合するに、右平岡村五番図の四十七番ノ一の南方の境界線が現地における控訴人ら主張の16、15、14、13、12、11、10(いずれも本判決添附第二図上にそれぞれ表示しあるもの)を結んだ線であるとは認め難い。

(3)  控訴人が当審において提出した甲第三十九号証は、当審証人新井琴尾の証言によれば、昭和九年当時三信鉄道株式会社に勤務していた新井謙治が作成した原図を新井琴尾が引き写したものであることが認められるけれども、当審証人鈴木久彦の証言、前掲吉川敏寛、奥原太平鑑定の結果によれば、成立に争のない乙第二十七号証(静岡鉄道管理局保管の鉄道用地図原本)、成立に争のない甲第四十号証(飯田保線区平岡分区保管の鉄道用地図副本)の記載内容と相違する点があることが明らかであり、かつ右相違点について甲第三十九号証の記載をもつて正しいものと認めることができないから、右甲第三十九号証をもつて、前段(1) (2) の認定事実を覆し難い。

(4)  控訴人らは、当審において甲第四十四号証を提出したが、当審証人川手浪治の証言によれば、右甲第四十四号証は、控訴代理人前沢弁護士単独の依頼によつて下伊那農業高等学校教員である川手浪治が作成したものであることが認められ、その内容を仔細に検討するも、とつてもつて、当裁判所が鑑定を命じた前掲鑑定人吉川敏寛、奥原太平鑑定の結果を覆し難い。

(5)  控訴人らは、四十七番ノ一の境界についてのその主張は、世界各国に通ずる土地分割の原則に準拠したものであると主張しているけれども、かかる原則なるものが、公知の事実ではないことはいうまでもなく、本件における一切の証拠によつても、控訴人ら主張の土地分割の原則を認め難いから、かかる原則なるものを本件判断の資料となし難い。

(6)  成立に争のない乙第十号証、原審並びに当審における被告(被控訴人)村沢与三郎の供述を綜合すれば、下伊那郡平岡村大字平岡字白砂三十九番山林三町二反三畝歩は、被控訴人与三郎の五代前の先代から代々所有権を承継して被控訴人与三郎に至つた土地であつて、与三郎はその先代らからその隣地なる四十七番との境界は、本判決添附第二図の14、5、3を結んだ線、すなわち、北はナメツタ沢、及びそれに注ぐ堀の線であると言い伝えられていたことが認められる。当審証人秦千松、遠山高次郎の各証言も、これと一致し、さらに成立に争のない乙第十四号証の十(被告人秦古一、同秦治視に対する森林法違反被告事件における証人松田賢吉の証言を録取した公判調書)同号証の十二(右被告事件における証人大平清市の証言を録取した公判調書)の記載によつても、右認定は疑を容れぬところである。

(7)  成立に争のない乙第十一号証、原審における被告(被控訴人)遠山正芳の供述により成立を認め得る乙第八号証、当審証人遠川高次郎、田中貞爾の各証言、原審並びに当審における被告(被控訴人)遠山正芳の供述並びに当審における検証の結果(第一、二回)を綜合すれば、下伊那郡平岡村大字平岡字うのす四十八番ノ一、山林二町七反七畝二十五歩は、被控訴人実の祖先にあたる次郎兵衛が明治四年に金田寛司の父沢次郎から買つたもので、爾来代々その所有権を相続によつて承継し被控訴人実に至つたもので、右四十八番ノ一の土地は、本判決添附第二図の2、3を結んだ線を流れているナメツタ沢の南岸であることを認めるに十分である。前掲乙第十四号証の十、同号証の十二、並びに成立に争のない同号証の十一(前記被告事件につき証人秦千松の証言を録取した公判調書)の各記載によるも右認定は疑を容れぬところである。

(8)  以上(6) (7) の認定事実に反する当審証人田辺広三の証言(第一、二回)は信用できない。

(9)  前掲乙第二号証(公図)に記載された四十七ノ一、四十七ノ十二と四十七ノ八との間の分筆線(原判決添附附図第一のホ、ハ、ロを結んだ線)は、成立に争のない甲第一号証の一、八、九、十、十一、成立に争のない乙第十四号証の八の(イ)(ロ)(前掲刑事被告事件における証人宮沢俊秀の証言を録取した公判調書)、並びに成立に争のない乙第十五号証の一、二(土地分筆届)を綜合すれば、昭和十六年十一月十四日控訴人喜代輔が四十七番ノ一を分筆して四十七番ノ一及び四十七番ノ八として後者を宮沢兼太郎に譲渡するにあたり、これが分筆手続並びに登記手続を依頼した司法書士宮沢俊秀が控訴人喜代輔、古一らの指示に基き現地を調査しないで作成したところの右四十七番ノ一と四十七番ノ八との境界線を示す図面によつて記載されたものと認められる。

しかして右認定事実と当審証人宮沢兼太郎の証言を綜合すれば、控訴人喜代輔らが司法書士宮沢俊秀に対して右の如く指示したのは同控訴人らが四十七番ノ一の土地のうちナメツタ沢の北側の部分を右の如く宮沢兼太郎に売り渡すにあたつて、四十七番ノ一の南側の境界が、同人らが本訴で主張している線であるといつたからに外ならないことが認められる。従つて右乙第二号証の分筆線は何等前記認定を左右し得ない。

さらに、前段認定事実成立に争のない乙第十七号証の十六、十七、甲第一号証の九、十、成立に争のない乙第十八号証の八(証人鈴木久彦尋問調書)、当審証人鈴木久彦の証言、原審における鑑定人吉川敏寛、奥原太平の鑑定の結果を綜合すれば、昭和十一年頃三信鉄道会社が鉄道用地として四十八番ノ十六、十七を買収するにあたつては、現地につきナメツタ沢の南岸の土地を買収し、同じ頃四十七番ノ九、十を買収するにあたつては現地につき右四十八番ノ十六、十七とナメツタ沢をへだてて境を接するナメツタ沢北岸の土地を買取し、その後運輪通信省が右鉄道会社の事業を承継して右買収土地につきそれぞれ登記手続を経由したが、前示認定の如き経過によつて乙第二号証に分筆線が記載されたため四十八番ノ十六、十七と、四十七番ノ九、十とが事実上、相接するに拘らず、公図上(乙第二号証)両者が四十七番ノ一によつて隔てられて記載されるに至つたものであることが認められるから、この公図の記載を根拠として前示認定を左右し得ない。

(10) 以上の認定したところに従えば、成立に争のない甲第十八号証の一(前記被告事件における鑑定人上村源二郎鑑定書)中、弁護人申出にかかる部分の鑑定はこれを採用すべからざるものと判断するのが相当である。

他に、前段認定を覆すに足る証拠はない。

右の点に関し、控訴人らはナメツタ沢の線とは如何なる線を指称するか判別し得ないとしているけれども、右ナメツタ沢の線は参加人古一をふくむ当事者間において明らかであつたことは、原審並びに当審(第一、二回)検証の結果によつて明らかであるからこの点についての控訴人らの主張もまた理由がない。

而して右認定に基いて右調停の由来を考え、右調停条項一を解釈するならば、右は、被控訴人実、同与三郎がそれぞれ、四十八番ノ一、三十九番として主張する同人らの所有地と控訴人治視の所有地たる四十七番ノ一との境界線が被控訴人らの主張のとおりであること、従つてナメツタ沢を境としてその南は被控訴人らの所有地であることを控訴人らが認めたことを意味するものと解せられる。もつとも右調停調書の条項一は本件係争地が被控訴人の所有地であることを直接に示さないで、境界線を示したに止るものであつて、しかも原審判決は特殊の見解に立つてこの条項を無効と解し、しかもこの点につき本件当事者は当審においてこれが取消を求めていないので、当審としてこの点の調停条項が無効だと認めざるを得ないが、しかしこのことはこの点の調停条項が無効だということを意味するに止り、ナメツタ沢以南の土地の実質的帰属関係について前示の如き認定をなすことの妨げとなるものでないことは、いうまでもない。そしてまた調停条項、一が右の如き理由で無効と認められるに過ぎない以上、その無効が本件の他の調停条項をも無効たらしめる何等の必然性を有しない。

第二、控訴人喜代輔の不当利得返還請求について。

控訴人喜代輔は、前掲調停調書の記載は、無効であると主張し、右調停調書に基き被控訴人実、同与三郎に支払つた金二十五万五千円は法律上の原因なくして同被控訴人らが利得し、これがため控訴人喜代輔に損失を及ぼしたものであると主張しているけれども、前示認定の如く前掲調停調書はその調停条項一を限いては、その効力に欠くるところはないから、調停条項三に基き控訴人喜代輔が被控訴人実、同与三郎に支払つた金員を目して、同被控訴人らが法律上の原因なくして得た利益であると主張することの誤りであることは明らかである。

よつて控訴人喜代輔の不当利得返還請求はその余の争点につき判断するまでもなく、これを失当として棄却すべきものである。

第三、控訴人らの名誉毀損を原因とする名誉回復並びに損害賠償の請求について。

控訴人らは、被控訴人操、同正芳、同与三郎において、原判決事実摘示中、「第五、名誉回復及び損害賠償請求の事実主張(A)請求原因」として記載せられた事実(但し当審における日時の訂正を附加する。)に基き、被控訴人らは、それぞれ控訴人らの名誉を毀損したと主張する。

しかしながら、この点についての原審証人秦勝の証言、原審並びに当審における原告(控訴人)秦治視、同秦喜代輔、原審における原告(控訴人)秦古一の各供述は、右調停手続の調停主任であつた原審証人野明助治の証言に照し、到底信用し得ないところである。その他控訴人ら主張のような控訴人らの名誉が毀損された事実があつたと認められる証拠はない。

よつて、右名誉毀損の事実の存在を前提とする控訴人らの各請求は、その他の争点につき判断するまでもなく、これを失当として棄却すべきものである。

よつて控訴人らの本件控訴はすべて理由がないものとして棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十三条、第九十五条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 松田二郎 猪俣幸一 沖野威)

(別紙)

目録

謝罪広告

飯田簡易裁判所昭和二十七年(ノ)第八七号、第一二四号調停事件に於て、公文書偽造罪、窃盗罪、強盗罪等の罪名のもとに貴殿等に対して罪人呼ばわりを為し貴殿等の名誉を毀損したるは誠に申訳無之、茲に謹しんで謝罪致します。

昭和 年 月 日

長野県下伊那郡南和田村一、二四五番地

秦操

長野県下伊那郡平岡村大字平岡六一〇番地

遠山正芳

長野県下伊那郡平岡村大字平岡三五六番地

村沢与三郎

長野県下伊那郡平岡村大字平岡一、三三九番地

秦治視 殿

野県下伊那郡平岡村大字平岡三二六番地

秦喜代輔 殿

長野県下伊那郡平岡村大字平岡三二六番地

秦古一 殿

第一図、第二図<省略>

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